暇と退屈

最近読んだ本で、これからのビジネスを考えるヒントとなる本がありました。それは東京工業大学教授の國分功一郎さんの書かれた「暇と退屈の倫理学」です。

この本はいわゆる哲学書でかつ440ページもあるため読むのに苦労しましたが(笑)、これからの時代を考えるときに重要になる価値観を解説してあり、苦労しても読む価値のある本でした。

この本の中から、私の発想刺激になった部分を抜粋すると以下のようになります。

退屈について

『人間は、退屈に耐えられないから気晴らしを求めているに過ぎないというのに、自分の追い求めるもの中に本当の幸福があると思いこんでいる。』

『やるべき仕事がないと、人は何もない状態、むなしい状態に放って置かれることになる。そして、何もすることがない状態に人間は耐えられない。だから仕事を探すのである。』

➡定年後に陥りがちな状況です。退屈というのは、幸せな人生にとって大敵ですね。また、世代に関係なく、スマホはどこでも暇つぶし(退屈しのぎ)ができる道具として画期的でした。

暇を生きる術

『有閑階級の伝統を持つ者たちは、暇を生きる術を知っていた。彼らは品位あふれる仕方で、暇な時間を生きることができた。』

『それに対し、新しい有閑階級は暇を生きる術を知らない。彼らは、品位あふれる閑暇を知らない。暇になるとどうしたらいいのか分からない。暇に苦しみ、退屈する。』

『暇を生きる術を知らないのに暇を与えられた人間が大量発生したということだ。』

➡これからの時代、元気で暇な高齢者が増えていくので、「暇で退屈だ」ということが静かに社会問題化していくと思います。また、将来もしベーシックインカムが導入されれば、高齢者に限らず全ての世代で、「暇で退屈だ」ということが社会問題化していく可能性があります。

豊かさとは

『必要なものが十分にあれば、人はたしかに生きてはいける。しかし、必要なものが十分あるとは、必要なものが必要な分しかないことでもある。十分とは十二分ではないからだ。』

『必要なものが十分しかない状態では、あらゆるアクシデントを排して、必死で現状を維持しなければならない。』

『これは豊かさからはほど遠い状態である。つまり必要なものが必要な分しかない状態では、人は豊かさを感じることができない。必要を超えた支出があってはじめて人は豊かさを感じられるのだ。』

『必要の限界を超えて支出が行われるときに、人は贅沢を感じる。ならば、人が豊かに生きるためには、贅沢がなければならない。』

➡「贅沢は敵だ」ではなく、「贅沢は素敵だ」ですね。(笑)

浪費とは

『浪費とは、必要を超えて物を受け取ること、吸収することである。必要のないもの、使い切れないものが浪費の前提である。』

『浪費は満足をもたらす。なぜならば、物を受け取ること、吸収することには限界があるからである。身体的な限界を超えて食物を食べることはできないし、一度にたくさんの服を着ることもできない。つまり、浪費はどこかで限界に達する。そしてストップする。』

消費とは

『消費は止まらない。消費には限界がない。消費は決して満足をもたらさない。』

『人が消費するとき、物を受け取ったり、物を吸収したりするのではない。人は物に付与された観念や意味を消費する。』

『記号や観念の受け取りには限界がない。だから、記号や観念を対象として消費という行動は、けっして終わらない。』

『消費社会では退屈と消費が相互依存している。終わらない消費は退屈を紛らすためにのものだが、同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む。ここには暇が入り込む余地はない。』

➡企業のマーケティング戦略に知らず知らずに乗っかって、記号や観念を消費し続けている、でも満足を感じないというのは、言われてみればそうですね。特に個人情報を基にしたターゲティング広告が全盛になってきた今は、以前より消費に駆り立てられる頻度が上がっている気がします。

消費ではなく浪費(贅沢)をすることによって、初めて満足を感じるというのは、感覚的に何となく分かります。

サード・ステージ(56〜84歳)では、暇で退屈になるのが一般的ですが、暇であっても退屈ではない日々の過ごし方ができるようになると、豊かな人生を送れるようになっていきます。上述の考えに従えば、浪費をする対象を持つことが一つの解になりそうです。

一方、セカンド・ステージ(28〜56歳)では一般的に暇ではないため、退屈する心配はそれほどしなくていいでしょう。(つまり、退屈している暇もない。)では生活が豊かかというと、そういう実感は余りないですね。

セカンド・ステージでは、時間的に余裕がないので、新しいこと、創造的なこと等をする暇がなく、生活が豊かだという感覚を持ちにくいのだと思います。しかし、(時間的に)余裕はなくても(心に)ゆとりを持つことは可能なのではと考えています。では、どうやって余裕がないのにゆとりを持つことができるのか? それには、いろいろな方法(技)がありそうな気がします。その方法については、また別の機会にコメントしたいと思います。

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