神の手
「致知」という雑誌があります。書店には並んでなく、定期購読するしかないので読んだことはなかったのですが、たまに新聞に一面広告が掲載されていて、その広告を見て関心を持っていました。
その「致知」の過去45年間に掲載した記事の中から、ぜひ後世に残しておきたいと考える74名の方の話を収録した「一生学べる仕事力大全」が2023年末に出版されました。こちらは本屋に並んでいたので、早速購入して読み始めました。
全792ページとボリュームがあるので、寝る前に時間があるときに一話づつ読んでいきましたが、54話あったので読み終わるのに結構時間がかかりました。掲載されている方は、いろいろな分野のその道を極めた一流のプロの方ばかりです。(例:稲盛和夫さん、王貞治さん)
この74名の方のお話の中で、私が一番印象に残ったのがそれまで存じ上げなかったデューク大学教授の福島孝徳さんです。福島さんは脳神経外科の医師の方ですが、「神の手」と称されており、まるでブラック・ジャックのような凄い方です。
この記事の中から印象に残っている箇所を以下『』にして転載します。(➡は私の感じたことです)
『僕は大学で病院実習をしていたときに、耳鼻科の鼓室形成などで用いられていた手術用顕微鏡を見て、これを脳外科の手術持ち込んでやろう、自分が日本のマイクロサージェリー(顕微鏡手術)の創始者になろうと思って脳外科に入ったんですね。
それで研修医時代、軽自動車と同じくらいの値段がしたハンディマイクロスコープを月賦で購入し、操作に慣れるため、毎日30分ほど顕微鏡下で手を動かす練習をしたり、利き手でない左手で食事をするなどの訓練を続けました。
まもなく勤務先の病院にも顕微鏡が導入されて、他の先生方もやろうとされるんですが、顕微鏡下では思うように手が動かせない。
一方、僕は前もってトレーニングをしていたから非常に正確にやれるわけです。脳外科に入って1年後には顕微鏡手術に関するほとんどを自分がやらせてもらえるようになったんです。』
➡自分で仕掛けてチャンスを掴んでいる。
『実際に病院で仕事を始めてみると、学生の時に実地臨床は一切教わっていませんから、注射1つすらできない。これでは患者さんを診られないというので、段ボールに着替えを詰め込んで、自宅に帰るのは月一回にし、1週間8日勤務の勢いで学びました。病院には24時間住み込みのような生活でしたね。』
➡現場で徹底的にやる。
『私は若い時から、2 、3日でも暇があれば、どんどん欧米に出かけて名のある施設を見学して回ったんです。すると東大でやっていることとは全然違う。これは絶対に留学しなきゃダメだという思いに駆られ、30歳の時にドイツへ2年、その後アメリカへ3年間留学したんです。』
➡好奇心の塊で、すぐに行動している。
『そしてどこまでいっても、これでベストというのはないんですよ。必ず明日に、来月に、半年後に、来年に、今よりも良い技術があるので、できればその道具を自分で開発して、でなければ他の人の進歩をすぐに取り入れる。』
➡常に最先端を取り入れている。
『あの頃欧米へ行くと、患者のポジションから消毒の布の掛け方、開頭の仕方まで何もかも違うんです。ですから帰国して数年間は特に凄かったですね。次から次とやりたいことのアイディアが湧いて、もう寝る間も惜しくてね。寸暇を惜しんで、進歩進歩進歩、改革、前進、とにかくもの凄い勢いでやってました。』
➡ワクワク燃えながら寝る間を惜しんでやられている姿が想像できます。ワクワク感が疲れを上回って、プレーヤーズハイの域に達してやられていたのだと思います。
『そして私は年間100例だった脳外科の手術を200、200を300と年間100ずつ増やしていき、最盛期には600まで増やしました。
でも病院だけでは飽きたらず、勤務を終えた夜や土日には北から南まで全国15病院を回り、年間900以上の手術をこなしました。』
➡365日一日も休まずやったとしても、平均2.5件/日の脳の手術をやられていたことになります。超人的仕事量です。
『ですから、とにかく休むなと、土日も使いなさいと。世界中に私ぐらい働いてる人はいないと思いますよ。
今回の帰国だって、アメリカから飛んできて朝、羽田に着くとそのまま高知へ行って手術をし、移動して千葉で手術、すぐに那覇の耳鼻科の学会に行って、そこから上海で四日間手術をしてまた帰ってきて、大阪、福岡・・・・、その後もずうっと全国を回ってきて、今日も福島から新幹線で東京へ。この取材が終わったら夜中の飛行機で渡米してロサンゼルスに着いて、それからノースカロライナに行ってそのまま外来をやるんです。』
➡このくらいやらないと年間900件の手術はできないですね。とにかく仕事量に圧倒されます。
『全世界どこ行っても患者さんに喜んでもらえるから、一時も休んでられない、寝てられないというのが私の思いなんですね。』
➡この超人的仕事量の原動力がこれなんですね。ただただ凄いです。
福島先生は、残念ながら、この本を読んでいる最中の2024年3月19日に亡くなられました。81歳でした。御冥福をお祈りいたします。